家康が江戸に城下を開いたが水不足に悩まされた。ことに埋め立て造成した下町は、井戸を掘っても塩気があってとても飲めるものじゃなかった。そこで、3代家光の時までに神田上水が整備された。しかし、町の拡大と人口増加のため水不足となり、4代家綱により2年がかりで玉川上水を完成させた。その後も、青山上水(1660年、四谷大木戸脇から)、三田上水(1664年下北沢から)仙川上水(多摩郡保谷村から、主に小石川白山御殿・湯島聖堂・上野寛永寺・浅草御殿などへ)が引かれて行く。昭和30年代までは、あちらこちらに井戸があり、地下水を汲み上げて飲んでいましたが、江戸時代に、塩気があった井戸水を仙川上水から水を引いたことで飲めるようになり、その水脈が残っていて利用していたのかもしれません?
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