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湯島は坂道の多い街です。
●天神男坂


  

●天神女坂

  
●中坂(仲坂)/湯島3丁目

●実盛坂(私たちはおばけ階段と呼んでいた)


   この坂下の南側に、実盛塚、首洗いの井戸や産湯の井戸があったという伝説めいた話が 「江戸砂子」や「改撰江戸志」にのっている。この実盛のいわれから坂の名がついた。 実盛とは、斎藤別当実盛のことで、平家方に味方をして、木曽義仲と加賀の国篠原の合戦で、 勇ましく戦い手塚太郎光盛に討たれた。出陣に際して、敵に首をとられても見苦しくないようにと、 白髪を黒く染めていたという。「平家物語」や「源平盛衰記」に詳しい。 「江戸志」には、「湯島より池の端の辺をすべて長井庄といへり。 むかし、斎藤別当実盛の居住の地なり」と。実盛は越後生まれで、長井庄は妻沼を中心に幡羅郡内にある福川、利根川、荒川など河川に囲まれた低地。ここに移ったらしい。従って、産湯の井戸、首洗いの井戸や墓があったとは作り話なのでしょう。

実盛とは、斎藤別当実盛のことで、源氏の棟領義朝と弟の義賢が争って義賢が討ち取られた時、遺児である駒王丸(後の木曾義仲)を助けた。1156年(保元元年)保元の乱において源義朝に従い悪七別当を討ち手柄をたてるも、1159年(平治元年)平治の乱において平清盛に破れたことから、領地は平清盛の二男、宗盛のものとなるが、功績を認められた実盛は、平宗盛の家人となり、別当として長井庄の管理を任される。1180年、源氏の源頼朝が挙兵したが、実盛は平宗盛に対する恩義から平氏として戦うことになり、敵となった源氏方の、かつて命を助けた木曽義仲(駒王丸)軍の手塚太郎光盛に討たれた。その者が、白髪を染めた実盛であったことに気が付いた義仲は、命の恩人の無惨な最後に泣き崩れたという。源氏から平家に仕え、昔、助けた源氏の嫡男木曽義仲軍に敗れるも、出陣に際して、敵に首をとられても見苦しくないようにと、 白髪を黒く染めて戦に臨んだという実盛の壮烈な生き様は、「平家物語」・「源平盛衰記」などに数多く語り継がれています。
●昌平坂(団子坂)/湯島1丁目1と4の間
●湯島坂(明神坂・本郷坂)/湯島1丁目2と4の間
●樹木谷坂(地獄谷坂)/湯島1丁目7と10の間
●妻恋坂(大潮坂)/湯島3丁目1と20の間
●新妻恋坂/湯島3丁目1の南側蔵前通り
●清水坂/湯島2丁目1と3丁目1の間
●横見坂(横根坂)/湯島2丁目7と8の間
●立爪坂(芥坂)/湯島3丁目2のうち
●三組坂/湯島3丁目4と20の間
●相生坂(昌平坂)/湯島1丁目4聖堂前
●昌平坂(団子坂)/湯島1丁目1と4の間
●湯島坂(明神坂・本郷坂)/湯島1丁目2と4の間
●樹木谷坂(地獄谷坂)/湯島1丁目7と10の間
●妻恋坂(大潮坂)/湯島3丁目1と20の間
●新妻恋坂/湯島3丁目1の南側蔵前通り
●清水坂/湯島2丁目1と3丁目1の間
●横見坂(横根坂)/湯島2丁目7と8の間
●立爪坂(芥坂)/湯島3丁目2のうち