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●天台宗・心城院(湯島聖天様) |

当山はもと宝珠弁財天堂と称し、湯島天満宮の一堂宇(阿弥陀堂や地蔵堂といった仏像様や地蔵様を安置する堂であった) 道真公が九州に流されたとき、冤罪をそそぐために聖天様に祈念されたとされ。
その由緒により因縁浅からざる聖天様を湯島天神境内に奉安した。 明治維新まで湯島天神の末社であったが、神仏混交の禁令発布により湯島天神と本末関係を絶ち、天台宗・心城院と改めた。天神男坂の下にある。湯島天神にお参りされたのなら、菅原道真が祈念した聖天様にもお参りしないと、ご利益が半分になっちゃうかも?
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●麟祥院 |

湯島駅西約200m、湯島の切通坂途中にある臨済宗妙心寺派の寺。 3代将軍家光の乳母春日局が1624年引退し、庵を建てたのが始まり。
43年65歳で没すると菩提寺とし、法名を寺名とした。墓石には円筒形の穴がとおっていて、 あの世から現世を見守る意味がこめられているとのことである。
からたち寺ともよばれ、墓所には春日局の墓と実家斎藤家の墓碑がある。斉藤家といえば、明智光秀につながります。
徳川家康のブレーンだった天海僧正の光秀説
斉藤道三の妻小見の方の甥であった光秀と春日局の父・斉藤利三(光秀側近)の母は光秀の妹だったともいわれ、さらに、斉藤利三の先妻は、斉藤道三の娘といわれている。その後、利三は、春日局の母・あんと再婚する。春日局(お福)が家光の乳母になったのは、天海僧正(光秀)が仕組んだとの説があります。さらに、天海が作らせた日光東照宮に明智の家紋(桔梗)があったり明智平がある。徳川二代将軍秀忠、三代将軍家光の名には光秀の名前が入っている。また、光秀の娘は、信長の命により織田信澄に嫁いでいる。藤堂高虎は、一時期織田信澄(信長の甥)に仕えていた関係で、本能寺の変のあと、信澄の子(光秀の孫)をひきとっている。その藤堂高虎が上野に東照宮を作っているが、天海もまた、徳川の命をうけ上野に東叡山寛永寺創建に尽力している。このように、天海光秀説は、まだまだ沢山の因縁があることから、事実のように思えてきますし、ロマンとしても人間模様が複雑に絡み合って真実味をもたせるのでしょう。
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